雉岳山国立公園は1984年12月31日、16番目に国立公園で指定された 。

この公園は韓国東風部の原州(ウォンジュ)市に隣接している。面積は181.327坪で、公園の西側は原州市の近隣 公園機能を持っていて、 東側は典型的な農村で自然生態系が良く保全されている。
オウルと東海を結ぶ嶺東高速道路の中間に位置し、首都圏からのアクセスが容易なので、年間探訪客は薬60万人である。

 雉岳山は主峰の琵蘆峰(1.288m)を中心に南大峰(1.181m)と北の方に梅花峰など1千mを越える高峰が引き続く 湧いてある急な溪谷がある。
春、夏には生い茂る森と水流、各種のめずらしい植物が多く、秋になると紅葉、冬には山を覆う雪景色が美しい。 樹木には闊葉樹がずいぶん多くて九龍寺近所にはいい木質で有名な數百年経った赤松巨木が数万本がずらりたってある。 この赤松は昔、朝鮮時代に宮をたてる木材で使うために伐木が禁止された。

 雉岳山は地形が険しくて谷が多く、いたる所に山城とお寺、史跡地がひろく散点してある。
このように雉岳山はとても莊嚴で険しい山勢を見せているがこんな山勢が奇岩怪石と滝及び鬱蒼した樹木が美しくて 特異な景觀を造り上げる。

領願山城
領願山城<江原道記念物第27号>この城は雉岳山の南西側にある石築山城で、新羅文武王または神文王時に築いたそうに伝われる。まだ新羅眞聖女王の時、王室の腐敗で国政が紊亂するので原州を中心に忠州で反亂を引き起こして近くの30余 城を奪うために原州、 雉岳山を本場で山城を構築したのがこの領願山城で梁吉と弓裔が築城して雄據した所。
まわりは1.031mで城内には井が一つ、泉が五つもある天然の要塞地だ。

 まだ一部残てある4kmほどの石城がそのまま保存されてある。特に高麗 忠烈王17年(1291年)元国の合団敵が侵入した時 、香公支使で別抄軍に所属された元沖甲この原主民と共に敵軍を退けた 遺書深い激戰地だったし壬辰倭亂時は 原州牧使金悌甲が倭敵を迎えて爭った所で原州住民が倭敵の侵入がある時ごとに対敵して爭った悲痛な戦争場だった。
近来に当時軍事が使った釜で匙などの遺物が発掘されてあるしここから近い所には金頭山城、海美山城地が残ってある。

黄腸禁標
 黄腸禁標は九龍寺入り口にある伐木禁止表示として江原道の地方記念物の第30号。
この地方の黄腸木は昔、王室で棺を作るために使われたのでその量を確保することに他の用途では切れないように 伐木禁止し表示をつけて置いた所だ。現在わが国に残っている黄腸禁標はここだけで知られている。

弥勒塔。
飛蘆峰頂上にある3基の石塔は1962年から1974年まで10年にかけて原州市に住んでいる人が神のお告げにようって 造成したことで一人'弥勒塔'という。伝われる物語ではわが国の中心になる所を探して3道を眺望ができる位置に3道の石を 集めて3期の石塔を3年ずつ3回にかけて築造行なうというお告げを受けてここに10年ぶりに石塔を築いて '私がしなげればならない仕事を盡くした'という一言を殘した後、亡くなったとそう。


 

 文化遺跡(寺)

 九龍寺
 新羅末高麗僧道禪国寺が創建したそう。朝鮮時代の建物の大雄展と共に雉岳山ではいちばん規模が大きなお寺だ。 寶光樓には国内で一番大きな(5-7m)、作って何百年が経た蓆がある。この蓆は三人が三カ月にかけて完成したものなのに 毀損された部分もなくよく保存されてある。

大雄殿内部の三尊木佛はその表情と体つきなどが朝鮮時代佛像の特徴をそのままにつけているだけでなく中央の釋迦牟尼佛を 中心に左右の菩薩像が建物構造と調和を成している。外の寶光樓など多い佛ヘ遺跡を畳み込んである。 雉岳山に最も大きなお寺である九龍寺は九つ匹の龍が住んだ池を埋めて法堂を建ったという伝説によって九龍寺だいわれて その中で落伍された一びきが住んだ池は九龍沼という。

上院寺
上院寺は南大峰ふもとに位してあるわが国で高い所にあるお寺で、100平ほどの石床に立ててあるが寺の前岩の 隙間には凉しい泉が噴き出してあるし、その前には約40mほどの崖がある。
上院寺の創建は確実ではないが石塔などの遺物で見て新羅時代の創建したもので推定されて、法堂前の石塔の2基は 古い寺の韻致をもっと莊嚴にする。

上院寺は雉の報恩説話があるが雉岳山の雉字が雉の雉字で使われることもこんな由来からだ。
新羅時代義湘大師が創建。大雄展を中心に東西に石塔が各々1基ずつある。恩に報いるためにかねを鳴らした後死んだ 雉と蛇の転話がある寺だ。後ろに建物の壁にこの説話のえが描いてある

立石寺
立石寺は雉岳山西南方の中に位置したお寺として細い創建年代は分かわないが大雄殿をはじめとした寺建物を最近に新築された。 新羅時代に義湘大師がここに入って修道をしたという伝説がある。
境内には新築した立石寺と最近に周りにちらばっていた石塔材料一部を使って複元した三階石塔がある。
ここは雉岳山の最高峰である飛蘆峰から流れた水流が立石寺内側の神仙岩で止まった、右は急斜面の岩壁で續いてて 立石臺崖で涌いて、左には緩い山峰が十重二十重に囲んである。

立石臺
立石寺の石塔は粘板岩を利用した石塔だ。朝鮮太宗(1400~1418)が即位した後、幼い時代にヘえを受けた師耘谷元天錫を 度々呼ばれたのに應じないので雉岳山に入って隱遁生活をして現われないから太宗が師を思いなから築いた塔という伝説がある。塔の高さは約220cmとして周りに散らばっていた石塔の各部材を積み上げた基の石塔部材がないだろかと思う。

厚ぼったい方形の蓮花臺石が2石で、薄い蓮花臺石が1石、各面に両側宇宙が模刻された塔神石が3石、方形の板石が4枚石のところで見てそのように推定された蓮花紋とか塔身石の置石手法で見て高麗時代の作品で推定される。

 

 

 

   
 
 
 
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